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そして、自宅は… [エッセイ]

さーて、この2日間、泥のように正体がなくなるまで寝ました。そして復活[手(グー)]

お次はこれ!
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今、実家の2階は「レイラからの引き揚げ物資」によって、完全に埋め立てられました。もう、この上で寝ようごとある。。

これが片付かないと、東京に遊びに行けません!みちのく一人旅もおあずけです![もうやだ~(悲しい顔)] いやーん。

待ってて桜〜!千鳥ヶ淵〜、中央線の市ヶ谷あたり〜、成城〜〜!

カフェレイラ誕生秘話③ [エッセイ]

内装のデザインは私が色鉛筆で手書きし、工務店さんに「こんな風にしてください」と手渡しました。
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それを大工さんが、私の描いたとおりに、きちーんと再現してくれました。
カウンターは大工さんの手作りです。温もりがあるでしょう?

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大工さんたちが一生懸命つくってくれて・・・・


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私の夢を叶えてくれました!
ピカピカの[ぴかぴか(新しい)]レイラが完成。2008年11月。

カフェレイラ誕生秘話② [エッセイ]

レイラの前は、ここはペットショップでした。たぶん半年以上空き物件だったのですが、動物の臭いはまだまだ強烈で、床はもちろん、壁、天井まで、全ての張り替えが必要でした。

そして飲食店はトイレが絶対きれいでなくては!トイレには並々ならぬ思いがあります。
暗く狭いトイレを今の場所に移すため、地面を掘削しての大掛かりな配管工事。これが一番大変でした。(費用が…) でも絶対にしたかった。

(写真1)
ボロボロに剥がれた壁。動物の毛がいろんなところから出てきました。
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(写真2)
ここは給湯室だったみたい。床もひどかったなー。
ここにトイレを移設しました。
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カフェレイラ誕生秘話① [エッセイ]

北九州でカフェをするなら、西小倉駅か八幡駅周辺と決めていました。

物件との出会いは、いい人との出会いと似ています。
自分に受け入れる準備がある時に素敵な物件が空いていて、それに出会えるのは運命と言えます。
そして、一歩踏み出す勇気。ボヤボヤしてたら取られます。

八幡駅前もステキだけれど、当時空き物件がなく。
西小倉駅前には、前面ガラス張りの、ちょっと広めの物件が。高い…
でもいい場所だなぁ…
でも高い…(ー ー;)
あきらめて眺めるだけ。

数ヶ月経って……

え?まだ空いてるやん!
やっぱり場所は最高。私の夢見たとおり、前面ガラス張り。
しかしこんないい場所、まだ誰も借りんの?

あ、これはきっと私に入ってほしいんだ…私がここでカフェをするんだ!

かくして私はカフェレイラ誕生に動き出したのです。2008年9月でした。

(写真)
レイラが入る前。ペットショップの後は床も壁も天井も汚かった…。ビルの壁しか見えない不要な窓はふさいで、絵を飾りました。
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でも、全面窓のフロント部分は気に入りました。
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スターの原石とは・・・大沢たかお [エッセイ]

1990年代、東京でテレビ番組などの制作会社に勤めていました。私の最初のキャリアです。
その時、あるファッションショーのビデオ制作を担当していました。よく店頭でファッションショーのビデオが流れているでしょう。あれです。

中堅の服飾メーカーで、ペルセポリアとかマリムラコマースとかいうブランド名だったかな。ショーの場所は表参道のクアトロや、南青山の何とかって言うとてもオシャレな所。24、5歳頃のことですが、結構覚えています。

カメラ2台で撮影に行って、終了後にライン録りの音源をもらい、編集します。

会社にニュースなどを編集する編集卓があり、それでまず自分で粗編集して、それから編集室に持ち込み、編集技師さんと本格的に映像を編集し、音やテロップをつけます。

ある時、編集をしながら、一人の男性モデルが気になりました。
いえ、別にタイプでもないし、特別なハンサムってわけでもないです。ちょっとタレ目だし…。もっとハンサムな人は他にもたくさん出ています。
ただ、その人はとても自信に満ちあふれて、輝いていました。

(なんだろうな、この人…)

と思いながら何も言わずに編集を進めていたら、隣にいた編集技師のお兄さんが、
「あ、こいつ、また出てきた…」とつぶやきました。同じ人が気になっていたようです。
実際には特に出演頻度が多いわけではなく、なんとなく人の目を引く雰囲気があるので、いちいち気がつくのです。

この時のモデルさん達は、雑誌などには出ていたらしいのですが、有名な人はいませんでした。名前も知らなかったのですが、その人だけが印象に残り、頭に焼き付きました。

それから一年後、その顔をテレビで見た時には「あーっ、この顔は? 」とびっくりしながらも、納得しました。その後スカウトされ、俳優になったようです。
「やっぱりね…」

私がタレント事務所の社長で、一人スカウトするなら、私も間違いなく彼をスカウトするでしょう。
器が大きいような、そして人々から広く愛されるような気がするのは、理屈ではありません。感じるのです。
(私の目も確かだ)
と密かに自信を持った出来事でした。

大沢たかおは、今や一流の俳優になりましたね。映画もドラマも、いい作品にたくさん出ています。いいぞ!がんばれ!最近知ったけど、同い年でした。
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レイラ物語③別離 [エッセイ]

近所のオス犬に襲われ、4匹の子犬を出産したレイラ。胎盤やへその緒は、自分で全部きれいに食べていました。本能で食べるそうです。お乳を出す栄養になるからね。
4つのフニフニの物体は、ホカホカと湯気が立つようでした。

しばらくして、一匹がお乳にたどり着けてないのが分かりました。目が見えないようです。
実は『キタキツネ物語』のレイラにも盲目の子がいました。「チニタ」といいました。「チニタ」はアイヌ語で「夢」。
私たちは、うちのレイラの盲目の子にも同じ「チニタ」と名付けました。

他の子がぐんぐん大きくなっていくのに、チニタはお乳を吸う力も弱く大きくなれませんでした。一週間くらいして、チニタは穴の中で死んでいました。
小さなチニタを、父が庭の一番いい隅に埋めました。

他の子は順調に育ちました。コロコロと、ぬいぐるみのようなかわいい盛りに、みんな引き取り手が決まりました。

レイラを刺激しないように、一匹ずつ、レイラが見ていないところで新しい飼い主さんに引き渡しました。
レイラも、お母さんの見ていないところで引き渡されて、うちに来たのです。
3匹…2匹…1匹…

最後の1匹を引き渡したら…レイラは嘆き悲しむだろうか。

しかしレイラは嘆きませんでしたし、探しませんでした。
動物の世界では、子供がどこかへ行ってしまったり、敵に連れ去られたり、死んでしまったりすることはあります。
親は自分も生きていかなくてはいけないので、嘆き悲しんでいる場合ではありません。
母性があるから、悲しくないはずはないと思います。でも

「子供はみんないなくなってしまったのだ」

という事実を、ただ受け止めるだけなのでしょう。

3匹はその後、それぞれの家庭で立派な番犬になったことと信じます。

子供を産めないように避妊手術をするのは人間の都合。
産んだ子供を引き離してしまうのも人間の都合。
どちらが幸せなのか、わかりません。

しかし、このお乳をあげてる時のレイラの穏やかな顔を見ていると、子供を産み、お乳をあげ、短い間でも母親としていられたのは、レイラの一番の幸福の時間ではなかっただろうかと思うのです。
この子は最後の一匹でした。

レイラはその後、またいつものように、オヤツをもらえるのを楽しみに私の帰りを待ち構えてたり、眼下の小学校のプールで子供達が泳ぐのをシッポを振って見ていたり、庭の鳥を追いかけたりして平和に過ごし、老衰で亡くなるまで長生きしました。

カフェの名前に「レイラ」と付けたことで、レイラがもう一度生き返ったみたいな気がしていました。何度も「レイラ」と呼んでもらえて、喜んでいたでしょう。

レイラは今、チニタと同じ場所に眠っています。
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レイラ物語②出産 [エッセイ]

レイラは一度出産したことがあります。'80年頃はまだペットに避妊手術を受けさせることが一般的ではありませんでした。「そこまでしなくても…」という風潮もありました。

レイラが2歳の時、近所の美容院のオス犬がうちの周りをうろつくようになりました。その美容院、夜に鎖を外し、好き勝手に散歩させてたようでした。昔はこんなことよくありました。うちのレイラもよく脱走していたから、人のことは言えない。

そいつ、毎日門からレイラをジーッと見るのですが、レイラは全く興味がなく知らんぷり。
確かにそいつ、うだつが上がらないダサい感じ…。犬のモテるモテないは、人間の感覚と一緒みたいですね。

しかしだんだん本気でレイラを狙っているのが分かり、私も警戒を強めました。夜中に「ハッハッ」と鼻息荒くやってくるので、私は2階の窓辺に石を並べ、そいつが来たら石を投げつけました。毎晩夜中12時の戦い…。

ある晩、戦いに疲れた私がウトウトしていたら、「ギャン!!」とレイラの悲鳴が。
急いで下りると、いつもと全く違うレイラが。目が怯えてガタガタ震えていました。
「やられたのか、チクショウ!」
私はレイラが落ち着くまで体をさすりました。

それからレイラのお腹はだんだん大きくなっていきました。
臨月にはお乳もパンパン。お座りをすると、2列×4段、合計8個のお乳がプリプリと全部見えて、中学生の私にはかなり衝撃でした。
猿なんかはお乳は小さいのだけれど、犬のお乳は体のわりには結構大きいです。

ある日、レイラが庭に深めの穴を掘りました。お産が近いと感じたようです。朝、その穴の中に4匹の子犬が生まれていました。

そのうちの一匹は目が見えないようでした。

(続く)

レイラ物語① [エッセイ]


これがレイラです。
はい、「カフェレイラ」のレイラです。(1979年〜1993年 享年14)
柴犬とスピッツの雑種。顔は柴犬、体は小さく、手足が白い女の子でした。もらって来た子です。

庭で放し飼いにしていたので、時々脱走し、2日ほど放浪してはまたトコトコ帰って来ていました(きっとお腹はすくのだ)。好奇心旺盛で、一体どこで何をしてたんだか…?
猫を追いかけ、スズメをとっ捕まえる野生児。

家に上がることは厳しく禁じていたので絶対に上がりませんでした。
が、一度だけ…
私が学校から帰ると、私のベッドの上でお姫様みたいに優雅に寝そべっているレイラが。
私の顔を見て「ハッ!」ピューーっとすっ飛んで行きました。「一度やってみたかった」んでしょうね。

散歩もできないくらいヨボヨボのおばあちゃんになってから、また家出を繰り返し始めたのですが、あまり歩けないから父がすぐ捕まえて連れ戻していました。
が、とうとう帰って来なくなって、数日後、近所にある父の小さな畑の中で死んでいるのが見つかりました。
きっと死期を悟って、何度も家出しようとしていたんですね。誰もいない所で死ぬ、という野生の習性をまだ持っていたのです。

レイラという名前は、当時好きだったゴダイゴが音楽を手がけた映画「キタキツネ物語」に出てくる、レイラというキツネに似ていたからつけました。
「レイラ」とは、アイヌ語で「風」。中東地域では「女神」、ラテン系のどこかの国では「女王」という意味もあると聞いたことがあります。

何度もレイラの由来を質問されたことがありますが、このワンコロでした!
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マレーシア在住記 第14話 「リーダーの存在」最終回 [エッセイ]

マレーシアを語る上で忘れてはならないのは、1980年代から20年以上に渡ったマハティール政権の功績です。彼なくして現在の発展はありません。一国のリーダーは、かくも国の運命を左右します。


マハティール首相の代表的な政策が「Look East」政策です。
「East」として国の明言は避けていますが、これは明らかに日本を指します。遠い欧米ではなく、もっと近くに学ぶべき国がある。それが日本ということです。マレーシアが親日的なのは、この影響が大きいと思われます。
日本式の数々のビジネス、医療、文化を積極的に取り込み、マレーシアを飛躍的に発展させ、現在の姿にしました。特に90年代の急成長は目を見張るものがありました。

マハティールは長期政権にもかかわらず、クリーンなところもよかった。
自分の子供たちを日本に留学させ、退任した今でも、度々日本を訪れて講演会などしていますね。行きたいな。(^^)

40年前からこの国を見てきて、のどかで貧しかった姿が懐かしい。
今の若者はどんなかな。
しっかりマレーシアの未来を支えてくださいね。

(写真)
私もだいぶ大きくなって、帰国は目前です。
この後10年以上の時を経て、マレーシアは大躍進することになります。
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(おしまい)

長きに渡って読んでくださって、本当にありがとうございました。
どのお話が好きでした?(^^)

自分の体験を、蓄えている知識も交えながらエッセイに書くことは、身を少しずつ切り取りながらお見せしているようです。
書いていると夢中になります。喜んでいただけてたら嬉しいです。

また面白い読み物をいつかご提供できますよう。
ごきげんよう。さようなら。

マレーシア在住記 第13話 「日本のアニメの力、人の力」 [エッセイ]

1970年代、すでに日本のアニメは東南アジアに進出をしていました。
日本の「マッハGo!Go!」が、その頃のマレーシアでTV放映されていたのです。マレー語の吹き替えがおもしろくてゲラゲラ笑いながら見ました。

その頃日本では札幌冬季オリンピックがあって、「ジャネット・リン」フィーバーに沸いていたはずだけど、テレビ放送はなかったな。当たり前か…マレーシアだから。(出場してない)

マレーシアでほとんどテレビをつけていた記憶はありません。番組も少なかったと思います。まだ現地の家庭に、テレビはあまり普及してなかったかもしれません。
漫画もなく、子供の娯楽は、外国人御用達のイギリスショップに売っている絵本、ぬいぐるみ、サッカーゲームくらいでした。

話がアニメにもどりますが、
その後は、一休さんやキャンディキャンディ、ドラゴンボール、ポケモンなど、日本の主なアニメはほとんど東南アジアに進出したそうです。

インドネシア人の友人によると、子供たちはアニメを通して日本に憧れ、かなり大きな影響を受けるそうです。加えて日本は裕福、というイメージも根強く、特に日本の男性は昔から東南アジア、東アジアでモテ[黒ハート]?ます。(裕福なだけではなく、優しくてカッコイイからですよ?^ ^)

最近では「けいおん」や初音ミクの影響で、特にタイ、シンガポール、マレーシアなどではロックアイドルになりたい女の子たちが急増中のようですね。
アニメの影響から日本語を学ぶ若者も多いですが、これもずいぶん前から。私の生徒さんにも多かった。

また最近は日本人のような名前やニックネームをつける人もいます。「?子」「?ko」と名乗るアジア女子を目にするようになりました。
「?子」は、古代 (神武天皇の時代) から日本女性だけが持つ名前の大きな特徴なんですけどね。それだけ憧れてくれているということでしょう。

ASEANの調査でも、2014年東南アジアが最も信頼している国は、日本が1位となっています。(2位のアメリカと大差です)
これはもちろんアニメの影響だけではなく、日本製品、日本車、その他東南アジアに関わってきた方々、お一人お一人の地道な功績の積み重ねだと思います。(←これが一番言いたかった!)

私のお友達にも、東南アジアと関わったお仕事をしている人がたくさんいます。皆さん、お仕事ご苦労様です。
ありがとう(^_^)

そういえば、日本人だって少し前までアメリカやイギリスなど、欧米の先進国に強烈な憧れを抱き、一生懸命マネをしていました。きっとそれと同じようなことでしょう。

(写真)
ペナンヒルから、ペナンの街を望む。対岸に見えるのがマレーシア本土。すごく近いですよ。
この頃はフェリーで往来したけど、今は橋が架かっています。
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